32年間という、長いのか短いのかわからない人生をふり返ったときに、どの時期が一番不調だったか。
ふと思い浮かべてみる。
小学校でいじめにあったとき。
希望の大学に入れず、入学し直そうか悩んだとき。
仕事でも私生活でも、変化に適応することが難しかった看護師1年目。
これらが候補にあがる。
あ、中学生で母ががん治療をはじめたときも。
幸いにも、いずれも生活が成り立たなくなるほど引きずることはなく、「苦難を乗り越えた」という成功体験なるものを積み上げるに至った。
人並みの苦労を経験し、それでも人に恵まれたことで、ほどよいストレッサーとして機能したようだ。
その中でも、そうだな。
強いてあげるとすると看護師1年目だろうか。
希望した精神科救急病棟に配属となり、それはもう現実離れした環境に身を置くことになる。
だいたいこんな感じ。

はじめたての一人暮らし。
情報収集のため、前残業で早朝出勤する日勤。
長いときは21-22時間ほど缶詰になる夜勤。
そういえば前残業って、この業界ならではの用語なんですね。
「前なのに残るって、なんだこのトンチンカンな言葉は」と思ってたけど。
調べると、看護師関連の記事ばっかり。

とにかく、気を張り詰めてた。
寝坊しないようにと睡眠が浅かったのか、
4月は毎朝4時に早朝覚醒。
5月は朝6時まで眠れるようになったが、今度は不安で入眠困難。
6月で少し慣れてきた頃、ミスやわからないことがあると激しい動悸と焦燥感に襲われ、うまく言葉が出なくなる。
以降、不眠と不安と格闘する数年間だった。
朝3時半にようやく寝つき、朝6時には起床。
日勤はその繰り返しだった。
今でもたまにそいつらがチラつくことはあるものの、そりゃもう元気元気。
午前3時にこうして言葉を綴っているのは、不眠ではなくただの夜更かしなのでご安心を。
仕事のギャップで4,5,6月と不調になり、追い打ちをかけるように失恋。
かわいそうだから、もうやめたげて…!
高校時代から社会人になるまで、大学受験も就活も一緒に乗り越えて、付き合って6年目のタイミングで別れ話をされた。
共通の友人たちとサマーランドに行った帰り、自宅の玄関で。
なんでも職場の同期と知らぬ間に親睦を深めていたようで、友人から相手女性のSNSを知らされて覗きにいくと、まだ別れる前から京都旅行もしている。
ちょ、京都はやめてくれよ京都は。
それはさぁ、いつぞやかに大学の都合で試験日程が変更になって、わたしたちが延期せざるを得なかった京都旅行じゃん。
せめて別の場所にしてくれ。
そんでもってなんだ、この女は略奪系のマンガやらドラマを面白いとつぶやいているぞ。
やめとけやめとけ、それは作品だけにしておけ。
いずれ自分が同じ目に遭うぞ。
別れ話の最中は、泣きながらも、それでも嗚咽をおさえて
「長年ずっと一緒にいて、他と比較することも必要だろうし、一旦よそも見てそれでもやっぱりと思ったら、改めて選んでくれればいいよ」
「別れたら別れたでわたしは他の人とも楽しくやっていけるけど、それでもこうして一緒に過ごしてきたんだから、このご縁を大事にしたいと思ってるよ」
と伝えた。
…いや、今思うとなんでこんなに冷静を装えたんだ。
引き際がよすぎんだろ。
なんでわたしを逃がしたんだこいつ、くそっ、いや、逃がしてくれてよかったんだけど。
それで今思うと、というか当時も「こりゃだいぶきてるな…」と思う心身の変化が、多々あった。
ほんと、多々。
まず、別れ話をされた直後、部屋での独り言が止まらなかった。
「えっ、うそでしょ、なんで、えっ、だって、えっ…」
ってしばらく喋ってた記憶がある。
んで、部屋を右往左往してた。
少し落ち着いてた時期にふり返ると、妙に感動したわ。
人間ってまじでパニックになると、右往左往しながら独り言いうのか、って。
あとはなんだ、部屋にいると押しつぶされそうな感覚に襲われた。
広い部屋で、っていっても一人暮らしのワンルームだけど、それでもそれなりに空間のある部屋で。
壁がせまってくるような、空気に押されているような、とにかくわからないけど何かにつぶされそうな感覚だった。
息苦しくて、酸素がうすくなったようで、部屋にいられない。
ベランダに出たり、マンションの踊り場に出てみたり、圧迫感のある部屋にいられなかった。
友人に電話をして話を聞いてもらい、聞いてもらっている間は少し気が紛れた。
電話を切るとまたふりだしに戻り、今度は別の友人に電話。
少しずつ満たされるかというとそうでもなく、栓の抜けた浴槽にお湯をため続けているようだった。
一人だけへの負担が大きくならないように、代わる代わる、少しずついろんな人に話す。
つらいながらに、そのあたりは配慮していたようだった。
他にも多々あるが、また別の機会に話すことにしよう。
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できれば経験したくはない苦痛だったが、経験してしまったからには何かに活かさんと帳尻が合わない。
焦燥感から歩き続ける患者さんも、何度もナースコールでヘルプを訴える患者さんも、他人ごとではなかった。
「何度もかけてくるのに、よくそんな丁寧に話を聞けるよね」と同僚にいわれたこともあるが、あの日の自分を救おうとでもしていたのか。
わたしの友人たちもこんな気持ちだったのかなと、答え合わせができるものでもないが、推し量りながら話していた。
そう、推し量る。
誰一人としてまったく同じ経験をすることはないのだから、心底「わかる」なんてことはない。
中学時代、現代国語の授業で鷲田清一の『わかろうとする姿勢』を読んだときのことをよく憶えている。
「わたしには他人の痛みというのがどうしてもわからないんです……。」
わたしはこういう率直な発言が好きだ。
こんな冒頭文だ。
中学生ながらに、わからなくてもいいのか、大切なのはわかろうとするプロセスなのか。
と、えらく安堵した憶えがある。
こうして大人になっても思い出すくらいには、この言葉が刺さった。
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睡眠不足や強い焦燥感、その他諸々と闘いながらの看護師1年目。
看護師が診断の話をするな、具体的な病名を出すなと言われそうだから控えるが、診断がついてもおかしくないと思いながら過ごしていた。
医療者にゆっくり話を聞いてもらいたい、というわけではないが、とりあえず眠剤と抗不安薬がほしい。
そんな想いで、近所のメンタルクリニックを探し始めた。
Googleレビューを見ても、好んで受診したいと思うクリニックがない。
自分が働く医療機関のGoogleレビューを見るとわかるが、たしかにそうだと参考になるものもあれば、事実と反することが書かれているのも知っている。
仕方がないから、消去法で一番安心して受診できそうなところに電話をかけてみた。
思っていたより、緊張している自分がいる。
いざ自分が受診する側になると、案外緊張するもんだ。
勇気を出してかけてみると、すぐには予約がとれないことがわかった。
2週間先だったかな。
どのくらいだか憶えていないが、とにかく拍子抜けした。
わたしの緊張を返してくれ、と。
それに、そんなに先なのかと、途方にも暮れた。
今の自分の職場は、担当医によっては3ヶ月待ちだから、それに比べれば早いほうだ。
それでも、じゃあもういいやという心持ちになった。
以来、メンタルクリニックを探したことも受診したこともない。
この時期とどう折り合いをつけたのか、やり過ごしたのか、記憶がおぼろげだ。
ただ、毎日追われる感覚があり、必死だった。
休診なんてどこの医療機関にもあることで、ほんの少しだけ待てばいい話ではあったが、そうはいかないことを痛感した。
そもそも希望の薬が処方されていたとしても、内服していたのか、思うような薬効が得られていたのか、わからない。
不眠といいつつも、わたしは寝たくなかったのだ。
正確には、安心して眠りにつきたかった。
眠剤を飲めば、否応なしに朝が来る。
朝になると、また仕事が待ち構えている。
それなら、寝ないで少しでも現実逃避していたほうがマシだ。
安心もできないのに眠れてしまうほうが、よほどの脅威だった。
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わたしは今、ココナラでこんなサービスを出品している。
いろんな想いがあるが、多忙な医療機関と役割分担する形で、できるだけすぐに応えられる場所をつくりたい。
医療と日常のあいだにある隙間を、少しでも埋められるような存在でいたい。
そう思っている。
「まさに今つらい」に、「ちょっと待って」が効かないことを、知っている。


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