精神科看護師が本音で話す|#6 ストーカーや性犯罪の治療で「正しく怖がる」ということ。

ストーカーや性犯罪の治療に携わるということ。
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依存症治療の現場で働いていると、ストーカーやDV、性犯罪の治療に携わる機会も多い。

 

正直なところ、加害者と関わるのは怖い。

相手にはそんな素振りを見せないようにしているが、怖いもんは怖い。

医療者だからといって余裕ぶる必要はなく、素直にそう感じていいのだと、最近になって思えるようになった。

なんていうんだろう。

仕事柄、ある程度の肝は据わっているし、イレギュラーな出来事にも慣れている。

自分が知っている患者さんを”加害者”という姿で、悲痛なニュースで見かけることにも、悲しいことに慣れつつある。

ニュースにあがっている方が新たに治療をはじめることもあれば、長年治療を続けていた方が再度ニュースにあがることもある。

そんな仕事を自ら選んだ。

 

それでもやっぱり、怖い。不気味だ。

この仕事を続ける上で、「正しく怖がる」ことがどんなに大切かと、痛感することが増えてきた。

怖くないからといってこの仕事に向いているわけではないし、余裕そうにしている姿がかっこいいわけでもない。

自分の身を守ることはもちろん、自分の家族を危険な目に遭わせるわけにはいかない。

 

きょうは、少し前にXに投稿した話をしようと思う。

https://x.com/hayama_tsumugi/status/2034233102562951443?s=46&t=F9H8D_nPjrteQDm88Q2mtQ

 

何からどう話そうかな。

たとえば、性犯罪の治療。

カルテを見ていると、やれ盗撮だの、やれ強姦だのと、物騒な言葉ばかりが並んでいる。

初診時には、事細かに起こった出来事を共有することになっている。

どんな人生を送ってきて、いつ頃から、どんなことがきっかけで盗撮をするようになったのか。

盗撮に使用していた機材や方法はなにか。

いつどこでどんな相手を狙うと、決まったパターンはあったのか。

盗撮したものはその後どのように使っていたか、もしくは撮って満足して使わなかったのか。

そんな内容だ。

正直、知って気分がいいものではない。

 

そのような情報が毎勤務で目に入ってくるもんだから、うちの職場も大丈夫かなと勘ぐってしまう。

院内の職員トイレのどこかに、カメラでも仕掛けられているんじゃないか。

最悪の場合を想定して、なるべく上の服を引っ張って隠しながら用を足そうか。

マスクだけは絶対にはずさないようにしようか。

そんなことを考えてしまう。

どれだけいらぬ心配をしているんだ自分は、とも思う。

でも、本当にいらぬ心配かどうかは、わからないんです。

 

また、ストーカーの治療に携わっていると、通勤中も気が抜けない。

いつどこで誰に見られているか、跡をつけられているか、わかったもんじゃない。

ストーカーの治療に限ったことではなく、そもそも精神科という現場は、好意も怨みも買いやすいところだ。

自分にも同僚にも、そのような心当たりのひとつやふたつはある。

いや、みっつやよっつはあるか。

わたしがこれからコピーや短歌で受賞しまくって、本名が知れ渡ってしまったらどうしよう。

ああ、こわいこわい。

(そんな心配をする必要があるくらい、まずは届く言葉を発してくれ)

 

念のため100均で買った伊達メガネを鞄に忍ばせ、近くに患者さんを見つけたときにはこれを装着し、早歩きで追い抜いたり道を変えるようにしている。

さすがにやりすぎだよ、失礼でしょ、何様なんだ。

いう声も聞こえてきそうで、話すのに勇気がいる内容ではあるが、これが現実だ。

性犯罪にしてもストーカーにしても、加害者には人の数だけ背景がある。

善悪の判断がついて、悪いとわかっていながら行動に移した方もいれば、そもそも悪いと認識していない方もいる。

 

「目が合って笑ってくれたから、相手も自分のことが好きなんだと思いました」

「自分に話しかけてくれたから、相手も性行為したいと思ってるのかと思いました。えっ、違うんですか」

「これはストーカーじゃありません。たまたま近くにいたから、しばらくついていっただけです」

 

冗談抜きで、このように物事を捉える方もいる。

それも少なくはない一定数、本当にいる。

実際に院内で他患者やスタッフに、このような感情を抱いたり行動に移す方もいるのが恐ろしい。

「ああ、うちに治療にきたのはこういうことか」と、腑に落ちるしかない。

 

好意を寄せているスタッフが冷たいと、警察に通報する。

病院宛に、特定のスタッフに対して何通も手紙を送る。

退勤のタイミングを狙って、待ち伏せしている。

そんなことが、本当にある。

 

そうなると、その方がいくら前向きに治療に励んでいても、迂闊に褒めないほうがいいのかと躊躇いが生じる。

相手にもよるが、表面上は笑顔でも坦々と、なるべく長時間は目を合わさずに話し、話し終えたらすぐに次の業務に取り掛かる素振りをみせようか。

なんて考えたりもする。

医療者が冷たいだなんだと言われる背景には、純粋に業務量の多さから余裕がないときもあれば、こうした自己防衛もあるのかな、と今書きながらふと思った。

 

また、「小児性愛」という文言をカルテで見かけることも珍しくはない。

自分の子どもが、どうか、痛ましい目に遭ってしまうことのないように。

自分の子どもがというか、生きている人すべてがこんな目に遭わないように。

 

常日頃からそう思っているせいか、お世話になっている保育園の門が開けっ放しになっているのを見ると、どうしても怖くなる。

保護者用カードキーなんて意味をなしていない。

頼むからみんな、必ず閉めてくれ。

園から注意喚起をしてもらおうかと、先生たちにそう伝えようか毎度迷いながらも、心配性で細かすぎる保護者だと思われたくなくて口をつぐんでしまう。

せめて自分はと、いつも必ず施錠されていることを確認することしかできない。

そのくらい普通に伝えればいいのに、こういう場面で自分のよくない性格が出てしまう。

 

加害者と話していてひしひしと感じるのは、その多くが被害者でもあるということ。

どんな背景があれ、許されることではない。

これは絶対だ。

許していい理由にはならない。

ただ、そうなる前にもっと話をしたいと思う。

 

そうなる前に話をしたいと、心底思っているよ。

 

 

ストーカーや性犯罪の治療に携わるということ。

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