産まれた。2024年6月25日 AM 9:40に長男(第二子)が産まれた。
人生で最後の出産だったから、忘れないうちに記録に残しておく。(現在時刻 2024年6月27日 AM 2:54)
予定帝王切開(妊娠38週)になった経緯
「2年前に長女(第一子)を出産した際に帝王切開だったから」というシンプルな理由で、今回は予定帝王切開になった。

一度帝王切開をおこなうと、次回経膣分娩する際に子宮破裂などのリスクがあることから、それ以降の出産では帝王切開が推奨されている。(医療機関によっては、経膣分娩可のところもある)
ちなみに、予定日の決め方は「当院では妊娠38週で予定帝王切開をすることになっています。〇曜日と〇曜日のどちらがいいですか」と、二択だった。それでも希望を聞いてもらえたのはありがたい。
家族のスケジュールを確認して、その日のうちに決定。予定日が決まったのは妊娠30週頃、出産の54日前だった。
長女のときは自然分娩の予定で、破水が先でその後本陣痛がきていたものの、促進剤を使用しても何をしても分娩が進まなくなり(遷延分娩)、破水から22時間後に緊急帝王切開になった。
出産前だから念のため医療保険に入っておくかとギリギリで申し込んだところ、まさかの緊急帝王切開。しかも、保障開始日がちょうど出産日だったから、あと一日早かったら保険適用外だった。あぶなかった…!
できれば自然分娩で産みたいと思っていたが、促進剤で激痛だけが続くなか分娩が進まず、これ以上は厳しいだろうという判断だった。痛みは喩えるなら、腰をくり返しハンマーで叩かれていた感じ。
緊急帝王切開に切り替えることになったときには、ようやくこの痛みから解放されるかもしれないと、安堵でボロ泣きしたのを覚えている。やだぁ……もうやだぁ……。
今回は本陣痛を味わうことがないから安心。前回は自然分娩の経過からの緊急帝王切開で、贅沢フルコースを味わったからあんなに辛かったんだ。
今回は予定帝王切開だから回復も早いだろうと、甘く見ていた。(フラグ)
入院翌日、いざオペ室へ
入院期間は6泊7日。前日に入院し、翌朝8:30にオペ室へ。
夫と一緒に歩いて入り口まで行き、リラックスして入室。早朝だったが、他科からも手術予定の患者が集まっており、4組ほど居合わせた。大学病院のオペ室の雰囲気、懐かしい。
というのも、看護学生時代に産科(帝王切開)と整形外科(人工股関節置換術)のオペを見学したことがある。
産科実習のほうは、ご出産されたお母さんは満面の笑顔だったのに、学生の私が涙ほろり。
「すごい…人類の神秘…!」という感想。
摘出された胎盤を持たせていただいたのもいい思い出。ずっしり、ドゥルンとした感触だった。
余談にはなるが、看護実習でははじめに患者選定という段階がある。
実習でどんな方を受け持つことになるのか、事前に患者数名分の情報を伝えられ、学生同士や指導教員と話し合いで決める。
他の学生が「サークルの先輩から聞いたんだけど、出産前の方を受け持つと勉強することが多くなるし、実習記録も大変だから、産後数日の方がオススメらしい」と話していたのを覚えている。
ばかタレぃ!!!出産に立ち会える機会なんて、この先ないじゃないか!
この機を逃してどうするばかタレぃ!!!
と思い、喜んで出産直前の方を受け持たせていただいた。看護学生6人の実習グループ、対して産前の方は1人だけだった。
たしかに他の学生より記録物が多く大変だったが、何度振り返っても間違いのない選択をしたと思っている。そんな得がたい経験だった。
整形実習のほうは、これまたすごい。もうあれは工事現場よ工事現場。
器具を入れるのに「カンカンカンカン!」と鳴り響くオペ室。執刀医というより大工のようだった。
余談が長すぎた。
硬膜外麻酔、切開、いざ出産
入室して台に横たわり、消毒やらなんやらを済ませると、まずは背中から硬膜外麻酔を入れる。
部分麻酔なので意識があり、出産の経過を自分の目で確認できる。
これがなかなか上手く入らず、何度も刺されて痛かった。
ひぃー、刺さってない、ちゃんと刺さってない…!
※ちなみにこの時の副作用で、未だに左腰の感覚がやや鈍い。勲章…!
身の危険を感じて「まだ痛いです」と伝え続けたら、ベテラン医師と交代し、すんなり挿入。
さっきと痛みが全然違うやんけ!
そして、ちゃんと麻酔が効いてる。
安心した。が、ここまででかなり時間を費やし、体力も削られてしまった。
側にいたオペ看(手術室看護師)さんに謝られたので、「大丈夫です、これ難しいんですよねぇ」と伝える。
「あれ、医療者の方ですか?」「あっ、そうです~」と談笑し、オペ看さんが精神科でバイトをしていた時のお話まで伺ってしまった。リラックスしすぎ。
手術の途中で気付いたのだが、執刀医の手元の様子がモニターに映されている。(よく医療ドラマで見かけるやつ)
前回の産院はモニターがなかったのか、自分に余裕がなく気付かなかったのかわからないが、実に興味深い。
(わっ、わぁ〜!自分の身体が切られてる〜!すごい、中こんなになってるんだ〜!)と眺めていたら、オペ看さんや先生たちに笑われた。
「よく見れますね!手術室向いてますよ。うち来ますか?笑」「いやいや、私じゃ使い物にならないですよ〜」なんて話していたら、息子の頭が見えてきた。
前述した、産科実習での胎盤のことを思い出し、「胎盤が出てきたら見せていただいてもいいですか?」とリクエストすると、これまた笑われた。
(娩出後にしかと見せていただいた。やっぱり、ずっしり、ドゥルンとしてる。9年ぶりに見る胎盤)
そして息子爆誕。
可愛い〜〜〜!!!
産まれたばかりの長女に、外見も声も似てる。
こりゃそっくりな姉弟になるぞと、早くも確信した。
このあたりまでは良かったんだ。このあたりまでは。
まさかの出血量、そしてシバリング
息子が産まれて、胎盤も出てきて、さぁお腹を閉じるぞとなったとき。
「ガーゼ1枚足りないよ」と声が聞こえてきた。
やばいじゃん!
これ知ってる、実習でも習ったわ。
ガーゼカウントというやつで、オペ中に使用したガーゼが体内に残されたままにならないよう、きちんと数えてから閉腹するやつや。(ガーゼだけでなく器具なども)
最終的には見つかったが、そこそこ時間を要したようで、出血量が1000mlを超えている。
一般的に、経腟分娩では500mlまで、帝王切開では1000mlまでの出血が正常、それ以上だと出血過多だとされている。
ガーゼを探すのに時間がかかったせいか、因果関係はわからないが、少なくともその間にドバドバ出血しているのを私はモニター越しに見ていたぞ…!
このあたりから、嘔気、胸痛、呼吸困難感、意識が遠のくのを感じ、シバリング(ふるえ)が激しくなってくる。
術中にサチュレーション(SpO2、呼吸状態の指標)を測ってるから、きっと数値的にはなんともなかったんだろうけど(そうだと信じたい)、とにかく息苦しい。
シバリングで酸素消費量が増加している影響だろうとは思うが、それにしても胸の痛みと呼吸苦がすさまじくて、(このまま息が止まるんじゃないか、早く酸素を…!)という心持ちだった。
適宜聴診をしてくれ、特に追加処置なしという判断だったが、酸素が10分の1になった世界にいるようだった。
これが本当にしんどくて、死の恐怖を感じた。
なんなら、これが続くくらいなら今すべてを終わらせてくれ…!と感じてしまうほど、息苦しかった。
少し話が飛躍するかもしれないが「いずれ死ぬときってこんな感じなのかなぁ。自分が死ぬときには、自ら苦しさを手放せる法律が施行されているといいな」とまで感じてしまった。
いやほんとに、比喩ではなくまじで死ぬかと思った……。
そんなこんなで、電気毛布で保温されながら(シバリングへの対処)病棟へ戻ることとなった。
病棟では夫が待っており、笑顔で「赤ちゃんに会った?可愛かったでしょ〜〜〜」なんてやりとりをする予定でいたが、それどころじゃない。
余裕がなさすぎて「ごめん、また後で面会で…!」と声を絞り出して、手を振った気がする(気がする)
8:30オペ室入室、9:40出産。
病棟に戻る頃には10時を過ぎていた。
術後、オペ室から病棟へ
ここからはもう地獄。
息苦しいわ、全身が痛いわ、意識が朦朧としてるわで、冗談抜きで消えてしまいたかった。
一秒一秒が長い。長すぎる。
縁起でもないことを言っているのは承知だが、人間まじで死の恐怖を味わうと、こう感じてしまうのだなと悟った。
その日の夕方の面会(夫と長女)までには、会話ができる程度には回復。
夜間は1時間ほどしか眠れなかったが、それでも翌朝にはようやく回復してきたと実感することができた。
気合いで食事をとり、離床をし、今はメキメキと回復しつつある。
それでもやっぱり身体は痛い。痛みで眠りづらいし、夜間の授乳などのお世話もある。
どっちにしろ眠れないから、こんな深夜3時に文章を書いている。
おわりに
息子は可愛い。とても可愛い。
すこやかな寝顔を眺めていると、この身体のつらさにも麻酔がかかる。
今回は予定帝王切開だから安心して臨める……と甘くみていたが、想像以上に壮絶な出産となり、世界中どこを探しても楽な出産などないんだなと痛感した。
人生で最後の出産、これにて終了。
※こちらの記事は、2024年6月27日のnote投稿をリライトしたものです。
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