精神科看護師が本音で話す|#2 いい精神科医って、治療って、なんでしょうね。

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(あー…ここが限界かも。さすがにこの職場やめよっかな)

 

外来診察で患者さんに辛辣な言葉を放つ医師を前に、今日は本気でそう思った。

まじでやめようかと思った。

患者の希望に反することも多い管理的な治療方針に、嫌気がさしていた。なにか悪いことに自分が加担しているのではないかと、そんな気分で常日頃から働いていた。

前職の訪問看護のように、とにかく患者中心の医療機関で働きたい、なんなら前の職場に戻ろうか。

そんなことを考えながら診察に同席していた。

 

そのわりに、30分もしないうちに

(あれ、わたしの考えが甘いのか…?患者さんの自己決定とは…パターナリズムは必ずしも悪しき慣習ではないのか…?本当に相手のためになることを考えたら、この関わり方になるのか…?)

と、自分の信念が揺らぐのを感じた。

ほんと、おそろしい先生だわ。

 

職場のおじいちゃん先生は、言葉を選んでるんだか選んでないんだか、躊躇なく現実を突きつける。叱咤激励…とも少し違うんだ。

笑みを浮かべた柔和な口調で、それでも坦々と、耳が痛くなるような言葉をまったりと放つ。

「おまえさん、このままじゃろくな人生にならんぞ」

「いつまで家族に迷惑をかけるんだ、まだミルク飲ませてもらってる状態だ」

「頑張ってるっていうけど、その結果がこれだったろ」

「このままじゃ、また長期入院か刑務所に行くことになるぞ」

「自分の考えが甘いって、わかってたほうがいい」

こんな感じ。

 

どうしたらこんな言い方になるのか。

もう本当にごめんなさい、わたしが代わりに謝らせてください。そう言いたくもなる。というか診察後にそれとなく言った。

 

ただ、文面だけ見ると「もっと違う言い方もあっただろうに」と思うけど、実際にその場に居合わせると情けが感じられるのも確かなわけで。

この対応を第三者としてどう受け取ればいいのか困るからやめてほしい。

これをヨシとすると「おまえはこんな言い方が正しいと思ってる看護師なのか!けしからん!」と言われそうで怖いから、言葉を濁したくなるけど、人を選べば深く響くだろうなとは思う。

どんな背景がある方も見限らない、お節介な親戚のおじいちゃんって感じ。

今後も度々登場するだろうから、ここでは「おじい先生」と呼ぶことにしよう。

 

うちに通う患者さんは、窃盗・暴行・性犯罪・違法薬物などで刑務所を経験した方も多く、世間一般では「困難ケース」と呼ばれがちな対象者も多い。

そんな中、おじい先生は来るもの拒まずで治療を続けている。

生活困窮者には、ボランティアかってくらいの施しを与えることも珍しくない。まさかそれ、職員の給料を削ってませんよね、先生のポケットマネーですよね…と信じたい。

先生がやってることはもう医療や福祉の枠を超えてますよ、と職員みんなが思いながらも、離れる人は離れていき、残る人は残っている。

 

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今日の診察では、おじい先生があまりにも猛スピードで治療を進めようとするもんだから、患者さんと押し問答になっていた。

それはさすがにいきなり環境を変えすぎでしょ、長期目標で達成するようなことを今日やれって言われても…というスピード感だった。

あれよあれ。足つぼマッサージでいうところの

「痛くないからリラックスできる、きもちぃ~」でも

「痛きもちぃ~、やっぱ少しくらい痛いほうが効果がありそうでいいわ」でもなく、

「いででででででで、ギブ、ギブ!何しとんねんほんまに!」とキレ散らかしそうな、罰ゲームレベルのごりっごりな治療。

何回分の刺激が一度に集約されてるんだ。

揉み返しがくるなんてもんじゃない。

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診察

 

しばらく両者の話を聞いて、20-30分ほど経った頃だったかな。

「先生、最終的にはそんな生活になるのが理想ではありますけど、まずは段階的に○○から始めるのはいかがですか」と仲介に入ってしまった。

やべ、余計なことをしたかも。

いやでも実際そうじゃんねぇ。

そのやり方じゃあまりにも押しつけてますよ、患者さんの自己決定なんてあったもんじゃないですよ、しかもそのスピード感、ほらパニックになっちゃってるじゃないですか先生、言わんこっちゃない…と思いながら。

 

おじい先生の治療は、半数には深く届いて効果があらわれ、半数はそのスパルタぶりに離脱するようなもの。

なんていうか、RIZAPみたいなイメージ。RIZAPやったことないけど。

人間、本気で行動変容したいのであれば、覚悟を決めて自分を律し、耳が痛いことも聞き入れる必要がある。

やるなら徹底的に。そんで勢いも大事だったりする。

 

両者の希望のちょうど中間、これがいい塩梅なんじゃないか…とおそるおそる先生に提案したところ、

「そうやって後回しにした結果がこれだ」

と返答があり、患者さんもわたしも何も言えなくなってしまった。ぐう正論。

 

例えば、あれよ。

今にも犯罪につながりそうな状況であるなら、そのスピード感が必要よ。

治療がどこまで社会にも影響を及ぼすのか、それ次第では悠長なことは言っていられない。

ただ、他人に迷惑をかけず、ひとりで不調になって再入院するくらいであれば(敢えて「くらい」と言わせてもらうが)、それはその人が試行錯誤したのちに得られる「経験」なわけで。

今回はこの方法が合わなかったことがわかりましたね、じゃあもっと合う方法を見つけてまたやっていきましょうか、死ななくてよかったですよ本当に、となるわけだ。

とはいえ、そこに家族や周囲の人の莫大な負担があるようなら、いくら自己決定を尊重するといっても、どの程度までそうすべきものなのか難しい。

ちなみにこの患者さんは、同居家族の負担があまりにも大きい。

 

患者さんと一緒におじい先生に諭されながら、あれこれ考えていた。

自分の普段の関わり方は、表面上を軽くさするだけで、きっと痛みを伴うことが少ない。

それで本当の意味で相手を救うことができているのかというと、そうとは限らない。

先生の診察から、そう振り返った。

まあでもこういうのはチーム全体のバランスが大事で、おまけにおじい先生の経験と立場とお人柄があってこそ成立するもので、わたしがマネしたらやべぇ看護師になるだけだ。

 

今、チームとして協働している身近な職員を思い浮かべたときに、

・患者さんの懐に入るのがうまい職員

・よく患者さんと喧嘩してる気が短い職員

・親戚のおばちゃんムーブでお節介を焼きまくる職員

・座ってるだけでマイナスイオンを放出してる職員

・多職種との連携がうまい職員

・おじい先生をなだめるのがうまい職員

など、バリエーションに富んでいる。

わたしはその隙間を溶接して埋められるような人になろうかしらねぇ。

 

とりあえずあれだ。この職場で働き続けている限りは、裏でこっそり患者さんに謝りまくるんだろうな。

「あの職員のさっきの言い方は失礼でしたよね、本当にごめんなさい」と。

誇れることもたくさんある医療機関なのに、それ以上にもったいないことばっかり。まじで。

愚痴を言いたくはなるけど、それでも見限ることはできない。やめるにやめられないから、たちが悪い。

クレームだらけでいつかこの職場つぶれるんじゃないか、恨みを買いまくってる職員たちが危険な目に遭うんじゃないか。

そんな要らぬ心配が尽きないが、しばらくはこの職場で、いいとこだけ全部吸い取らせてもらう。

多分わたしは、まだ全然わかっちゃいない。

 

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